Friday, June 16, 2017

映画『セールスマン』について

 先週、イラン人の映画監督アスガル・ファラハディの新作映画『セールスマン』が日本でも公開され、主演女優のタラーネ・アリドゥスティさんも来日した。東京外大で開かれたトークショーでは、質問に答えていただいた上に、サインもいただき、一緒に写真をとることもできて感無量だった。


 





 昨年の九月、テヘランで公開されてすぐに映画館で鑑賞し、その後ももう一度映画館で観た。2度も見た理由はペルシア語だけということもあり、一度目だけでは理解できなかったことが多かったからである。とりわけ前作でもそうだが、ファラハディの映画は伝統と近代の価値の対立をひとつのテーマとしている。そのため、単に言語の問題だけではなく、イラン社会の伝統的な価値を知らないと、理解しがたいこともある。

 たとえば、なぜラナは警察に届け出ないのか、と疑問に思うこともあるだろう。これは映画内でも少し言及され、またタラーネさんが日本でこのように説明している。

 「どんな国籍のどんな背景の女性でも、性的暴行を受けたら絶対に迷うと思います。警察に行っても証拠がなければ訴え出ることは難しく、男性が違う証言をしてしまったら、逆に不利な立場になり得ます。」(Huffpost)

これに関しては日本でもつい最近、ジャーナリストの件が話題になっており、人事ではない。
 
 また、最後に暴行犯に対する振舞い方。決して彼の家族に暴露するようなことはしない。ペルシア語でaaberuという言葉がある。これは面子と訳すのがいいだろう。イラン社会において面子は非常に重要で、面子をつぶす行為は慎むような強固な規範が依然として存在するのだ。

 これらを踏まえた上で疑問に思ったのが主人公の犯人探しという振る舞いである。いくら頭にきたからといって、一人で犯人を追いかけるという行為はありうるだろうか。いかんせんリスクが高すぎる。映画では弱弱しい老人だったからよかったものの、屈強な男たちの集団だったりしたら殺されて終わりだろう。あまりにもリスクを省みない振る舞いではないか。というわけで、トークショーでは、この行為がイラン人の男性にとっても一般的なのかどうか、を聞いた。映画の内容にかかわる質問だったので、タラーネさんは後であなただけに答えてあげる、といって会の終了後に説明してくれた。曰く、イラン人の男性にとっても奇異な振る舞いだそうだ。しかし、その奇異さこそが重要だという。彼のような文化的な階層の人は普段の生活では暴力とは遠い生活をしている。しかし、そのような人ですら、怒りで我を忘れ暴力に走ってしまうことがありうる。描きたかったのはその対比だという。

 ところで、題名の『セールスマン』とはどのような意味だろうか。これはひとつには劇中劇である『セールスマンの死』からきていることは誰でもわかるだろう。しかし、ただそれだけではなく、映画に関するいくつかの意味がこめられている。現代はforushandehである。これは「売ること」を意味するforukhtanという動詞から派生した「売る人」という単語だ。ここで映画内の売る人を列挙してみよう。

①劇中劇『セールスマンの死』
②暴行犯の職業は露店商人
③事件の原因となったのは元住人は性を「売る人」

そしてタラーネが答えてくれたときに、このようにいった。先に触れた主人公の非理性的な行為、これが人としての魂を売り払った、という意味で、「売る人」でもあるということ。つまり、
④主人公=魂を「売る人」

というわけで、ほかにも数えられるかも知れないが、『セールスマン』というタイトルには少なくとも4つの意味が含意されている。